第46番札所 医王山 浄瑠璃寺 養珠院

いおうざん じょうるりじ ようじゅいん

伊予鉄道松山市駅伊予鉄バスセンターから
バス 久谷、丹波行 約40分。浄瑠璃寺前下車 徒歩1分。 
御詠歌 極楽の浄瑠璃世界たくらへば受くる苦楽は報いならまじ 
住所 愛媛県松山市浄瑠璃町282 
TEL 089-963-0279 
HP  
宗派 真言宗豊山派  
開基
行基 
宿坊 なし
駐車場 境内に隣接 
松山市役所 電話089-948-6887  
http://www.info-matsuyama.lg.jp/ 

 

海抜710mの三坂峠は、古くより馬子泣かせといわれる交通の難所。順打ちの歩き遍路なら、この峠の途中にある塩ヶ森より旧遍路道を下っていくと「浄瑠璃寺」。

 

開基の行基は和銅元年(708)、奈良の大仏開眼に先立って 仏教布宣のために伊予へ。
この地が仏教流布の最適地であると確信し、自ら本尊の薬師如来、 脇仏の日光・月光菩薩像、十二神将像を刻んだ。寺号は薬師如来のいる場所が瑠璃光浄土ということ、薬師如来の別名が瑠璃光如来ということに由来する。
大同2年(807)には、弘法大師も順錫し、堂宇を創建。しかし戦国時代に入ると荒廃・中興を繰り返し、江戸中期の元禄年間に本尊、脇仏を除くほとんどが延焼した。
その後、橋の建設や研究で活躍した社会事業家の堯音が寺の再興をはたし、岩屋寺から松山もでの八つの架橋等、多くの業績を残した。

 

数々の御利益があると信仰を集める浄瑠璃寺は、親しみを込めて「御利益のよろず屋」とに相応しく、境内には仏足石・仏手石・仏手指紋もある。まず本堂の左手前にある仏足石は、仏の足跡で「健脚、交通安全、仏足石」と記した小さい石碑が立っています。参拝者は靴をぬぎ、足跡の上に立ち、ご利益にあやかるようです。
また、あらゆる知恵や技能に御利益があると伝わる仏手石、心身堅固と文筆達成に霊験あらたかと言われる仏手指紋もぜひお参りしたい。
なお、この寺では仏足、仏手、仏手指紋を型どったオリジナルのお守りも用意している。
また、藤棚のそばにある一願弁天は、ただ一つの願いを叶えてくれる芸術の守護神。
知恵、財宝、音楽に関する願いには、特に霊験あらたかと伝わっている。
また、かつて仏がいた 霊鷲山の石を埋め込んだ説法石は、腰掛けることができる。

 

境内には、樹齢約1000年のイブキビャクシンの大木がそびえている。 これは弘法大師が加持したものといわれており、 松山市の天然記念物にも指定されている。

 

46番~53番の松山8ヵ所参り。
市内に8ヵ所のお寺がまとまり、日帰りや一泊二日でこの地域だけを歩く人も多い。
道後温泉に入り、市内観光を兼ね、お寺巡りで心も穏やかになります。

浄瑠璃寺 浄瑠璃寺 本尊
薬師如来
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
46浄瑠璃寺の仏足石
浄瑠璃寺の仏足石

 

仏足石
「仏足石」は釈迦の足の裏の形を石に刻み信仰の対象としたもの。
両足を揃えたものがより古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。実際の足跡ではなく三十二相八十種好の説にもとづいて、足下安平立相、足下二輪相などが刻まれていることが多い。
現在では仏像を礼拝しますが、釈迦入滅(起源前383年入滅)後、数世紀の間は仏像が造られず仏塔、菩薩樹、法輪、法座などを、仏がそこにいることを示す、しるしとして礼拝の対象としていましたが後に仏の足跡を刻んでこれを礼拝するようになりました。

 

日本最古の「仏足石」は、奈良市西ノ京町・薬師寺仏足堂内にある、天平勝宝5年(753年)の線刻仏足石(国宝)である。薬師寺仏足石を頂点として、全国各地の寺院に仏足石が造られたが、中世の造立は一例もなく、近世になって百余個の石が造られていて、その三分の二が戦後の造建である。

 

足下安平立相(そくげあんびょうりゅうそう)
足が大きく平らで、土踏まずがないという特徴がある。
より古い形式では何も模様がかかれていないことが多い。
足下二輪相(そくげにりんそう)
足のほぼ中央に二重の輪が画かれ、そこから放射状に線が画かれる。
長指相(ちょうしそう)
仏陀は手の指も足の指も長かったとされ、足跡の指も長く画かれる。
手足指網相(しゅそくしまんそう)
指と指の間に水かきのような網があったとされている。
仏足石では、魚の絵で網を表している。

第45番札所 海岸山 岩屋寺

47番八坂寺へ1キロ

第47番札所 熊野山 八坂寺 妙見院