第74番札所 医王山 甲山寺 多宝院
いおうざん こうやまじ たほういん
JR善通寺駅より 徒歩30分 | |
御詠歌 | 十二神味方に持てる戦にはおのれと心甲山かな |
住所 | 香川県善通寺市弘田町1765-1 |
TEL | 0877-63-0074 |
HP | |
宗派 | 真言宗善通寺派 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
善通寺市役所 電話0877-63-6315 | |
http://www.city.zentsuji.kagawa.jp/ |
弘田川に向かって歩くと、白壁に囲まれた寺院が見えたら「甲山寺」。
甲山周辺は弘法大師の故郷で、幼少の頃は泥の仏像や草木の小堂を作って遊んでいたという。
平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に寺院を建立しようと霊地を探していた。すると、甲山の麓で岩窟から翁が現れて、「私は昔からこの地に住み、人々に限りない幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者である。この地に寺を建立すると良い。そうすれば、その寺は私がいつまでも守護するであろう」と告げたという。大師はさっそく石を割って、毘沙門天像を刻み、山の岩窟に安置した。これが甲山寺の始まりである。
弘仁12年(821)、琴平の近くにある満濃池という巨大な溜め池が決壊し、地元の人達は手を焼いていた。京都にいた大師は朝廷に満濃池造の別当に任命されて帰郷した。
唐留学の際に土木技術等の工学も修めていた能力で、工事を指揮、さらに大師がこの地に来ると、大師の徳を慕って数万もの人々が集まり、その力を結集して何年もかかっていた工事を、わずか3ヵ月で満濃池を修築と伝えられている。大師は朝廷から贈られた報奨金の一部を使い、甲山に堂宇を建立。この時、工事の無事を祈願して刻んだ薬師如来を本尊とし、山の形が毘沙門天の甲冑に似ていることから寺号を甲山寺としました。
大師堂の隣には、甲山寺の縁起となった毘沙門天像を安置している岩窟の毘沙門天がある。
境内には子安地蔵尊や親子地蔵尊もあり、地元の人達から子宝祈願や子供の成長を祈願する人も多い。
甲山寺より歩いてすぐの所に稚児大師像が祀られている仙遊寺があり、四天王に守られた真魚(弘法大師)の伝説が残っている。
本尊 | ||
薬師如来 | ||
真言 | ||
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか | ||
74甲山寺の本堂 |
満濃池
日本を代表する歴史あるため池で、創築は大宝年間(701~703)と伝えられています。
弘仁12年(821年)に弘法大師空海が改修にあたり、唐の最新土木技術を駆使し、日本最初のアーチ型ダム方式の堤防を短期間に完成させ、従来の数倍の強度を誇るため池を築き上げました。
その後決壊、鎌倉、戦国時代を含めた約 450年間は復興されず池の中は「池内村」となっていましたが、寛永8年(1631)西嶋八兵衛による再築などを経て、明治39年の改修や嵩上げ工事を重ね、今では1,540の貯水量を誇り、「讃岐の水がめ」として空海の恵みの水をたたえながら海のように広がっています。
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