第54番札所 近見山 延命寺 宝鐘院
ちかみざん えんめいじ ほうしょういん
JR今治駅からバス 菊間行 約10分。阿方下車 徒歩10分。 | |
御詠歌 | くもりなき鏡の縁をながむれば残りさず影を映すものかな |
住所 | 愛媛県今治市阿方甲636 |
TEL | 0898-22-5696 |
HP | |
宗派 | 真言宗豊山派 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
今治市役所 電話0898-32-5200 | |
http://www.islands.ne.jp/imabari/ |
子供の頃、田や畑の仕事の合間に、叔父は造船で働き、叔母は家でタオルを縫っていた姿が思い浮かぶ。
そんな故郷の今治市方面へ足を進めると、左手には瀬戸内海が見えてくる。
県道38号から「延命寺」へ。
奈良時代の天平年間(729~749)、行基が、今治市の西北にある近見山の頂きに七堂伽藍を建立し、不動明王を刻んで開基した。
平安時代になって、嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師は、荒れていた寺を再建、近見山円明寺と名付けて、信仰と学問の道場を作り上げた。
文永5年(1268)には、当山の西谷坊で凝念国師が八宗綱要1200余巻を書き上げた有名な話が残っています。
その後、鎌倉時代から戦国時代に長宗我部氏などの侵攻などで、寺勢は衰えた。
江戸時代の享保12年(1727)近見山から現在の地へ移ったといいます。現在の延命寺は山裾に位置し、周りは田園が広がっており、静かな雰囲気に包まれています。
寺の山門は、明治初期の廃藩置県の際に取り壊された、今治城城門の一つを譲り受けたもの。総欅造りの立派なたたずまいは、ひときわ目をひく。山門をくぐると四季折々の花が咲く境内へ。
不動明王、十二諸尊西国三十三カ所の観音様、薬師如来座像、阿弥陀如来像、びんずりさんが祀られている。
長宗我部氏の略奪を拒んだといわれる梵鐘は、宝永元年(1704)の作で、鐘面に寺の由来が記されていて、今治市の有形文化財。
明治になって郵便制度が出来たことにより、第53番の円明寺との間違い等の混乱を招いたことから、それまでの俗称であった延命寺に変更されました。
本尊 | ||
不動明王 | ||
真言 | ||
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん | ||
54延命寺の降三世明王像 |
越智孫兵衛供養塔
江戸時代の庄屋・越智孫兵衛は、農民たちを餓死から救った郷土の英雄。
「七公三民」の厳しい年貢取り立てに憂いを感じ、池普請の際にご飯の代わりに粥の入った竹筒を持たせ、役人にいかに窮乏しているかをそれとなく見せたという。お陰で役人は、年貢を「六公四民」に免下げした。それ以降も農民の生活向上に寄与し、享保の大飢饉の際には、一人の餓死者も出さなかった。境内にはそんな越智孫兵衛の徳と智恵を慕って「越智孫兵衛供養塔」が建立されており、毎年8月7日には盛大な慰霊祭が行われている。
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