第38番札所 蹉蛇山 金剛福寺 補陀洛院
さださん こんごうふくじ ふだらくいん
土佐くろしお鉄道中村駅からバス 足摺岬行終点下車徒歩15分。 | |
御詠歌 | 補陀洛やここは岬の舟の棹とるもすつるも法の蹉蛇 |
住所 | 高知県土佐清水市足摺岬214-1 |
TEL | 0880-88-0038 |
HP | |
宗派 | 真言宗豊山派 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | あり(要予約) |
駐車場 | 境内まで徒歩3分 |
土佐清水市役所 電話0880-82-1111 | |
http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/ |
第37番から第38番までは、八十八ヵ所のなかでも一番の長距離で、四国の最南端、足摺岬の突端にある岬全体が境内の「金剛福寺」。
弘仁13年(822)、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願により、弘法大師が自刻の千手観音像を安置し建立した寺。寺には嵯峨天皇より賜わった「補陀落東門」の勅額(天皇が自ら書かれた額)が現存し、ここが補陀落渡海の道場であったことを今に伝える。
紀州の熊野那智、高知の室戸岬、そして足摺岬が補陀落信仰の聖地。
「補陀洛」とは、梵語のポータラカの訳でインドの南岸にある観音様の住む山のことで、観音浄土として崇拝されている土地を表し、その浄土への入口の「東門」にあたる場所として寺を創建。
戦国時代から江戸時代にかけて、「補陀落渡海」が盛んになり、海の彼方にある観音浄土をめざして小舟を漕ぎ出し、命を落とす人も多くいた。
寺は代々天皇家の勅願所となり、 平安時代後期には観音霊場として幅広い信仰を集める。また、源頼光が諸堂を修復したりと 源氏一門との関係も深く、室町時代には、京都仁和寺(にんなじ)から下国された 尊海法親王が住職を勤められ、3万600坪の境内には伽藍が軒をつらねる大寺院となった。
寺は一条家の庇護を受けて、土佐でも最大級の寺院へと発展。近世には一時荒廃したが、 土佐二代藩主・山内忠義が再興。さらに明治の廃仏毀釈の後には、住職である天俊の努力で再興し、現在に至る。
この寺の寺宝である愛染明王座像は、平安後期の作といわれており、県指定の文化財。 また、高野山の僧・祐宝が応永22年(1415)に描かせたものといわれている弘法大師の一生を絵巻にした高野大師行状図画・全10巻のうちの5巻もこの寺にあり、県の指定文化財となっています。
本尊の千手観音は秘仏だが、正月、初観音、春祭りなど特定の日に公開される。本堂・大師堂" ビラン・アコウなどの亜熱帯植物や椿が生い茂る山門をくぐると、境内にたどり着く。 境内には、本堂、大師堂、愛染堂、不動堂、弁天堂、多宝塔、宿坊が建ち並んでいる。
本尊 | ||
三面千手観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん ばざらたらま きりく | ||
38金剛福寺の海亀塔と本堂 |
足摺七不思議
境内から通じる遊歩道の途中に、「揺るぎ石」「潮の干潮石」「一夜建立の鳥居」「亀呼び岩」「地獄穴」「龍馬笹」「竜の駒」といった不思議なものが点在している。
ジョン万次郎像
金剛福寺の駐車場脇にジョン万次郎(本名=中浜万次郎)の銅像がある。
幕末に土佐清水に生まれ、遭難してアメリカ人に助けられ、帰国後に通訳として活躍した。
足摺岬灯台
高さ80mの断崖に立つ、高さ18mの灯台は日本最大級の光で、船舶の安全を見守る足摺岬のシンボル。
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