第86番札所 補陀洛山 志度寺 清浄光院

ほだらくさん しどじ せいじょうこういん

JR志度駅から徒歩約10分。 
御詠歌 いざさらば今宵はこゝに志度の寺祈りの声を耳にふれつゝ 
住所 香川県さぬき市志度1102 
TEL 087-894-0028 
HP  
宗派 真言宗善通寺派 
開基
藤原不比等  
宿坊 なし  
駐車場 境内に隣接 
さぬき市商工観光課 電話087-894-1114 
http://www.sanuki.ne.jp/ 

 

国道11号線を東に向かい、志度駅の左方向にあるのが「志度寺」。
有名な江戸時代の天才科学者・平賀源内は、この地の出身。

 

推古天皇の時代(592~628)の創建といわれ、八十八ヵ所の中で最古の寺と言われています。
「志度寺縁起絵図六巻」(重要文化財)によると、推古天皇33年(625)、薗子という尼が霊木で本尊を彫り、お堂を建てたのが寺の始まりと言われています。
天武天皇10年(681)、藤原不比等が、その昔竜神に奪われた宝珠を取り戻した妻の菩提を弔うために「海女の墓」を建立し、「死度道場」と名付けた。
奪い返した宝珠は、奈良興福寺の本尊、釈迦如来の眉間に納まっているといわれています。

 

持統天皇7年(693)、藤原不比等の息子の房前(ふささき)と行基が境内を拡張し、現在の寺号に改め、僧侶の学問所や信者の修行の場となった。
縁起にも語られる「海女の玉取り伝説」は、謡曲「海士(あま)」のもとになっている。

 

堂々とした造りの仁王門(重要文化財)は、本堂とともに讃岐藩主・松平頼重が寄進したもので、「三つ棟木」という工法で建てられた山門は、日本三大名門のひとつ。その門に納められた仁王像は、、阿・吽とも鎌倉時代の仏師・運慶作とされ、東大寺の仁王像の習作と言われている。

 

広々とした境内の正面には本堂、その左手に樹木に彩られた朱塗りの五重塔が建っています。本尊の十一面観音と、その脇仏の不動明王、毘沙門天は、檜材の一木造りで平安期初期の作と伝えられ、国の重要文化財になっています。
門の右手に立つ宝物館には、志度寺縁起絵図をはじめ豊富な仏像、仏画、書状が陳列されている。昭和50年に完成した五重の塔は志度寺の新しいシンボルで高さ31m鎌倉時代風純和様式の全木造建築で朱塗りの柱。

 

また、3000坪の広さがあり、全国でも屈指の由緒ある名園である曲水式庭園は、室町時代の四国管領・細川氏が代々寄進して作らせたもので、京都の竜安寺石庭を作った細川勝元が完成させた。書院の庭に当たる枯山水の「無染庭」は、七つの石と白砂で構成され、竜安寺石庭を思い出させます。

志度寺 志度寺 本尊
十一面観世音菩薩
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか
86志度寺の仁王門
志度寺の仁王門

 

密教について
密教以外の仏教では死後極楽浄土に生まれたり、数々の修行を行って仏にされると教えているが、密教では正しい修行を積めば、あらゆる人がこの身このままで仏になれると言う「即身成仏」を説いている。

密教経典によると、人の日常の行為やは全て、身・言葉・心の三つで成り立っていて、行者の手に印契を結ぶ身密、口に真言とか陀羅尼を唱える口密、心を三昧(精神が統一された状態)に置く意密、この三種の秘密を一体化させるのが「三密」の行で、成仏の方法を具体的に説いたものとされている。


第85番札所 五剣山 八栗寺 観自在院

87番長尾寺へ7キロ

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