第30番札所 百々山 善楽寺 東明院
どどさん ぜんらくじ とうみょういん
JR土讃線土佐一宮駅下車 徒歩20分 | |
御詠歌 | 人多く立ち集まれる一の宮昔も今も栄えぬるかな |
住所 | 高知県高知市一宮2501 |
TEL | 088-846-4141 |
HP | |
宗派 | 真言宗豊山派 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
高知市観光協会 電話088-823-4016 | |
http://www.welcome-kochi.jp/ |
平坦な道を進むと、土佐国の一の宮である土佐神宮の境内が見え、その先にあるのが「善楽寺」。
その昔は長福寺といい、大同年間(806~810)にこの地を訪れた弘法大師により土佐神宮の別当寺として建立された寺。
明治の初めに神仏分離・廃仏毀釈のあおりを受けて、第30番札所は複雑な事情がある。
江戸時代に書かれた「四国遍礼霊場記」によると、土佐神宮の別当寺にはもうひとつ「神宮寺」があり。
「百々山神宮寺」が30番札所と書かれている。
明治の初めに起こった廃仏毀釈を受けて、神宮寺と善楽寺は廃寺され、寺宝や本尊は第29番国分寺へと預けられた。そして明治9年、神宮寺と善楽寺より一足早く復興した安楽寺という寺に、国分寺にあった本尊が移されて安楽寺は第30番札所として公認された。 しかし、昭和4年には善楽寺も埼玉県与野市にあった東明院を遷し、国分寺から大師像を迎えて再興された。
結局以後は、第30番札所が善楽寺と安楽寺の2カ所に。札所争いが65年間も続いて、騒動に決着がついたのは、平成6年1月1日。 善楽寺が第30番札所、安楽寺は第30番札所の奥の院として位置付けられている。
参道入口は土佐神社と共同門となって、山門がどっしりと構え、別当寺としての面影を残しています。境内入口には山門がないためか、実に開放的です。本堂は昭和58年に改築されていますが、対照的にこじんまりとした大師堂には「南無大師遍照金剛」という文字が何枚もの幟に染められ奉納されています。
境内にある日本庭園の奥に位置する「梅見地蔵」は、頭の病気や学業成就や目・耳・鼻など首から上の病の平癒祈願で信仰を集める。 昔から梅の木の下にあったことから、この名で親しまれる。
子安地蔵堂には地蔵絵馬が多数奉納され、子宝祈願に霊験がある。
本尊 | ||
阿弥陀如来 | ||
真言 | ||
おん あみりた ていせいから うん | ||
30善楽寺の本堂 |
安楽寺
安楽寺は延喜年間(901~923)に、この地に配流された菅原道真の息子である朝臣・高視(たかみ)が、父の菩提を弔うために創建したといわれる。一時は七堂伽藍が建ち並び、境内周辺に12坊を数える大寺院となった。
しかし、応仁年間(1467~1469)には兵火で焼失。 江戸時代中期には、僧・栄俊の手で再興された。明治時代には廃仏毀釈で廃寺となるが、明治9年に再興された。
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