第36番札所 独鈷山 青龍寺 伊舎那院

とっこうさん しょうりゅうじ いしゃないん

JR高知駅からバス 宇佐(高岡・市野々・須崎)行。バススカイライン入口下車 徒歩20分。 
御詠歌 わずかなる泉にすめる青龍は仏法守護のちかいとぞ聞く 
住所 高知県土佐市宇佐町竜163 
TEL 088-856-3010 
HP  
宗派 真言宗豊山派 
開基
弘法大師  
宿坊 なし 
駐車場 境内に隣接 
土佐市役所 電話088-852-1111 
http://www.city.tosa.kochi.jp/ 

 

山道から長い石段を登った先にある「青龍寺」。
仁王門から本堂までは170段の急な石段が続き、ようやくたどり着いた境内には本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並んでいるが、これは伽藍配置といい、弘法大師が留学した唐の「青龍寺」を模している。

 

延暦23年(804)に唐に渡った弘法大師は、長安の青龍寺で恵果(けいか)和尚に真言密教の奥義を授けられ、 真言八祖になった。帰国にあたって大師は恵果和尚の恩に報いるために、日本にも青龍寺を建立したいと考え、密教の法具である独鈷(どっこ)を東の空に投げ、帰国後、四国巡錫中この地で、老松に自らが投げた独鈷が刺さっているのを見つけたという伝説が。
大師は嵯峨天皇に奉聞した後に、一宇を建立して不動明王の石像を安置したという。 広い寺領を誇る大寺院であったが、江戸時代初期には一時、寺運が衰退する。
荒廃した寺は土佐二代藩主・山内忠義が、正保年間(1644~1648)に再興した。 また、宝永4年(1707)にも津波と地震で大きな被害を受けたため、江戸末期にも再建されたという。

 

本堂に安置された波切不動明王は、大師が唐から帰国の際、嵐にあって難破しそうになったとき、不動明王が現れて手にした宝剣で荒波を切り開いて難を救った姿を刻んだものといわれ、漁師たちの信仰を集め船を描いた絵馬がいっぱい掲げられている。四国霊場で波切不動明王を本尊としているのは、第36番青龍寺のみ。
また、本尊と一緒に寄木造りの愛染明王像も安置。愛染明王は家庭円満、 縁結びの信仰を集めている。鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。

 

本堂前右手には石像の不動明王が建ち、向かい側には三十三観音の石像もある。
石段途中の左側には恵果和尚を祀った恵果堂があり、その上には朱色も鮮やかな三重塔が10年ほど前に建立されました。 近くには行場になっている滝が流れています。

青龍寺 青龍寺 本尊
波切不動明王
真言
のうまくさまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ 
そわたや うん たら た かんまん
36青龍寺の三重塔
青龍寺の三重塔

 

2007年8月の朝日新聞に、青龍寺に続く遍路道沿いに総合学習の一環として、小学生が「お守り」として、小石にお地蔵さんの顔を描き無人販売所に1個10円で並べたら、3年で300個以上が売れたという記事。 さらに、お遍路さんは「どうして歩いているのですか?」という返信先を小学校宛にしてハガキを置いてみると 、続々と返信が。

 

「強くなりたいから」という言葉から、悩みや苦しみを抱えながら生きている大人の姿や、その他バラエティーに富んだ答え。

 

生真面目な日本人という言葉が、自分としては一番最初にイメージとして浮いて来ました。

 

唐の「青龍寺」
中国西安にあった、密教の中心的な寺だったが845年に廃寺に。
弘法大師はここで恵果和尚より真言密教の教えを受けた。

 

独鈷杵(どっこしょ)
密教の法具で、心の迷いを寄せつけないとされる物。
青龍寺本堂には弘法大師が唐から投げたといわれる独鈷杵が安置されている。???

 

大相撲第六十八代横綱、朝青龍明徳(あさしょうりゅうあきのり)の四股名は、第三十六番札所青龍寺にちなみ青龍寺より許可を得て四股名にし、母校の名から「明徳」と名付けた。
モンゴルから相撲留学していた明徳義塾高等学校の近くにある青龍寺の石段でよくトレーニングをしていたといわれている。

第35番札所 醫王山 清瀧寺 鏡池院

37番岩本寺へ54キロ

第37番札所 藤井山 岩本寺 五智院