第55番札所 別宮山 南光坊 金剛院
べっくさん なんこうぼう こんごういん
JR今治駅から徒歩10分。 | |
御詠歌 | このところみしまにゆめのさめぬればべつぐうとてもおなじすいじゃく |
住所 | 愛媛県今治市別宮町3丁目1 |
TEL | 0898-22-2916 |
HP | |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内にある |
今治市役所 電話0898-32-5200 | |
http://www.islands.ne.jp/imabari/ |
JR今治駅に近い町中にあるのが、八十八ヵ所で唯一「坊」の名を付している「南光坊」。
大宝3年(703)河野氏の始祖・越智玉興の弟である玉純が、文武天皇の勅願を受けて瀬戸内海の今治市沖に浮かぶ大三島の大山積明神に勧請し、法楽所として二十四坊を建立した。
海を渡らないと参拝に行けないため、和銅5年(712)にその別宮を越智郡日吉村に移転。同時に別当寺院として南光坊を含む八坊を移したという。別当寺八坊の一つが、この寺の始まりと言われています。
その後弘法大師が巡錫し、別宮を参拝し、坊で祈願して四国霊場と定めた。
天正年間(1573~1592)には、伊予の全土を襲った長宗我部氏の兵火によって八坊は焼失してしまう。さらには越智氏の末裔である河野氏も滅亡。ただし、この南光坊だけは大山祗神社の別当寺として再建された。
明治に入り、廃仏毀釈の時には本社の本尊であった大通智勝如来と二大脇侍、十六大王子が南光坊に移された。
昭和20年の大空襲では大師堂と金比羅堂以外の建造物は焼失。
歴史ある建造物の金比羅堂は、文久年間(1861~1864)創建の建物。大師堂は大正5年に建立。屋根の四隅が軽やかに跳ね上がり、その上にある相輪塔と相まって、荒波の中を走る船のような様相を呈している。地元の人から「別宮のお大師さん」の愛称で親しまれている。本堂は昭和56年に再建された。
宮中晩餐会で同席した作家の久保田万太郎より四国遍路の話を聞き、遍路に訪れた川村驥山(きざん)は、昭和25年に書道家としては初めて、芸術院賞を受けた人物。
その時に被っていた菅笠は、南光坊に保存されていて、笠には「無所住而生其心」と金剛般若経の中にある言葉が書かれているが、この意味は「応さに住する所無くして而も其の心を生ずベし(菩薩はどのような行いにおいても跡を残すという執着する心の働きがあってはいけない)」という事。
本尊 | ||
大通智勝如来 | ||
真言 | ||
なむ だいつうちしょうぶつ | ||
55南光坊の山門 |
大山祗神社
日本全国の山を統べる大山積神の本拠地で、一万社といわれる山祗神社の総本社。
瀬戸内海の大三島にあり、河野氏や三島水軍に篤く信奉され、国宝・重要文化財級の甲冑が多数奉納されている。
大通智勝如来
法華経に登場する如来で、釈迦が仏法を学んだとされる。
法華経は釈迦が悟りを開いたのち、民衆に仏教の真意を伝えるためにした例え話の集大成。
大通智勝如来を八十八ヵ所の中で本尊にしているのは南光坊のみ。
|