第40番札所 平城山 観自在寺 薬師院

へいじょうざん かんじざいじ やくしいん

JR宇和島駅からバス 宿毛行平城札所前下車 徒歩3分。 
御詠歌 心願や自在の春に花咲きて浮世のがれて住むやけだもの 
住所 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1 
TEL 0895-72-0416 
HP http://shikoku-net.co.jp/88/8840.htm 
宗派 真言宗大覚寺派  
開基
弘法大師  
宿坊 なし 
駐車場 山門前に隣接 
御荘町企画振興課 電話0895-72-1111  
http://www33.ocn.ne.jp/~kotaro_mil/iyosumi/towninfo/misho.htm 

 

「修行の道場」から「菩提の道場」に入って、四国霊場の第1番札所・霊山寺から最も遠く、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれているのが「観自在寺」。

大同2年(807)平城天皇の勅願所として、弘法大師が開いた寺で、当時は七堂伽藍が建ち並び繁栄を極めた。
本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の3体の尊像は、弘法大師自身が一本の霊木から刻み安置し、残った霊木にも「南無阿弥陀仏」と彫った宝版が寺宝。
本堂前には「弘法大師御自作の御宝印を是非お受けください」という立て札が立っているが、「南無阿弥陀仏」と彫った宝判を写しとったご宝印を、体に擦りつけると病気平癒・厄除・諸難消除にご利益があるといわれています。
本尊と宝判は二度の火災に巻き込まれたが、奇跡的に助かり、現存している。

 

平城天皇、嵯峨天皇は親しく行幸され、御朱印を下し、一切経と大般若経を収められ護摩供の秘法を修せられ、そのため周辺は「御荘」と、寺のある地は「平城」と呼ばれるようになった。
また、寛永15年(1638)には、京都の空性法(くうしょほう)親王が巡拝され、薬師院の号を受ける。

 

境内にある心経宝塔(しんぎょうほうとう)は、昭和53年に建立された。 このほか、寺に伝わる宝物を収納展示した宝聚殿(ほうしゅうでん)八角堂、 平成10年に開眼した観自在菩薩像、地元俳句界の草分け的存在である岡村呉天翁が建立した芭蕉の句碑などもある。

 

境内の大師堂は、慶応2年(1866)に建てられたが、昭和39年に修復。さらに平成5年に改築された。 弘法大師尊像、脇侍(わきじ)に不動、愛染(あいぜん)明王をまつっているほか、 回廊には四国八十八ヵ所のお砂を敷き詰めており、大師一代の尊像を安置していている。

 

今から約200年前に建立された総欅造の山門は、威風堂々としたたたずまい。 御荘町の文化財にも指定されていて、天井の方位盤は特に有名。 仁王像は下久家の大工の作、また現在の額は高野山401世座主の筆によるもの。また、日本国内に4ヵ所ある鎮守のひとつにも数えられている。

観自在寺


観自在寺 観自在寺 本尊
薬師如来
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
40観自在寺の山門
観自在寺の山門

 

お遍路イコール「歩く」そして「考える」と単純な考えが浮かびます。
「発心の道場」「修行の道場」と、ここで大体半分の道のりを乗り越えて来たことになります。

 

何よりも体調はどうですか?特に下半身。

 

ここまで来ることが出来れば、行動する事については、もうベテラン?
では、心の面ではどうでしょうか?
なんの為に区切りがあるのでしょうか?
考え出すと様々な考えが浮かんでは、消えてゆきます。

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41番龍光寺へ50キロ

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