第44番札所 菅生山 大寶寺 大覚院

すごうさん だいほうじ だいかくいん

JR松山駅からJRバス 高知行 久万高原下車 徒歩20分。 
御詠歌 今の世は大悲のめぐみ菅生山つひには弥陀の誓ひをぞまつ 
住所 愛媛県上浮穴郡久万高原町管生二番耕地1173 
TEL 0892-21-0044 
HP  
宗派 真言宗豊山派  
開基
明神右京、隼人  
宿坊 あり(要予約) 
駐車場 境内に隣接 
久万町産業振興課 電話0892-21-1111  
http://www.town.kumakogen.ehime.jp/index.html 

 

第43番明石寺からの距離は実に95kmにも及ぶ、いわゆる「遍路ころがし」という難所の「大寶寺」。
目を引くのは仁王門に奉納されている巨大な「わらじ」はで八十八ヵ所中一番の大きさ。

 

用命天皇(585~587)の頃、明神右京、隼人という猟師が百済からやってきた聖僧が十一面観世音菩薩を発見し、安置し草庵に祀った。
大宝元年(701)、文武天皇の勅願により寺院が建立され、当時の元号にちなんで大寶寺と名付けられ、その後、弘仁年間(810~24)に弘法大師が寺に留錫し、密教三密の修法を厳修した。

 

後白河天皇の逸話により、病気平癒のご利益で知られ、特に頭の病気にかけて霊験あらたかとか。
本堂は、青い銅板葺き屋根が美しい。この建物は明治時代の焼失の後、大正時代に再建された。鐘楼は2つあるが、石段を上って右側にある鐘が古いもの。左側の鐘は「平和の鐘」と呼ばれており、これは第2次世界大戦で亡くなった地元の英霊を供養するために建てられた。一方、境内の片隅には漂泊の俳人・種田山頭火の句碑が。「朝まいりはわたくし 一人の銀杏ちりしく 山頭火」の文字が刻まれている。

 

境内には杉や檜の大木がそびえたち、高地であるため空気も澄み、幽玄な雰囲気を醸し出しています。この寺を打つと四国霊場の丁度半分をお参りしたことになり「中札の霊場」ともいわれっている。

 

久万町の由来
大寶寺がある「久万町」という地名は、巡錫中の弘法大師を接待した、おくまという老婆の丁寧なもてなしに感謝した大師が、おくまに願いを聞いたところ「いつもお参りするお寺の山麓に村落があれば」 との返答。
大師は信仰心の現れとして、その願いを引き受けた。
そしておくまの名が町名として現在に残ったといわれている。

大寶寺 大寶寺 本尊
十一面観世音菩薩
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか
44大寶寺の本堂
大寶寺の本堂

 

十夜ヶ橋
明石寺から大寶寺までは伊予路一の長さで、弘法大師が宿を借りようとしたが全て断られ、橋の下で野宿した。一夜限りとはいえ夜明けまで時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ」(生き悩んでいる人々をどうやって救えばよいのかを考えていたら、一夜も十夜のように思えました。)と詠ったことから十夜ヶ橋と名が付き、橋の上で杖をつかないという風習はこの事にちなんでいると言われています。
橋の下には、横たわる大師像が安置されています。

第43番札所 源光山 明石寺 円手院

45番岩屋寺へ9.5キロ

第45番札所 海岸山 岩屋寺